ペンは剣よりも強し
「ペンは剣よりも強し」とよく耳にします。
皆さんはこの言葉を聞くとどんなふうに思いますか?
言葉や知識の力が武力よりも重要であることを示している。
ジャーナリストは、「ペンは剣よりも強し」と言う言葉を好みます、権力にはこびへつらったりはしないというように。
しかし、「ペンは剣よりも強し」は「情けは人の為ならず」と同じで実は続きといいますか、それを言ったシチュエーションがあったようですね。
「情けは人の為ならず」の原文は、新渡戸稲造が言った言葉で、
「施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな」
出典:『[新訳]一日一言:「武士道」を貫いて生きるための366の格言集」 新渡戸稲造著』
意味は、
「情けは他人のためではなく自分自身のためにかけるもの。
よって、自分が他人にした良いことは忘れても良い。
しかし、人から良くしてもらったことは
絶対に忘れてはならぬ。」
というものでした。
さて、「ペンは剣よりも強し」は、ちょっと長くなりますが…
今回は、英国の作家・エドワード・ブルワー=リットン卿の著作に登場する「ペンは剣よりも強し」という表現について、ご紹介します。
実はこの名言、もともとは言語表現の巧みさや、勇気ある発言を称える言葉、ではなかったのです…!
「ペンは剣よりも強し」という名言から、どんな状況を連想しますか?
たとえば、民意を無視したかのような、無謀な政策を推し進める悪徳政治家の黒い部分を、一介の新聞記者が渾身の取材で暴き、失脚に追い込む…「文章の力が世直しをする」こんなシチュエーションを連想される方が、ほとんどではないでしょうか?
この名言の原典は、英国で1839年に発表されたエドワード・ブルワー=リットン卿作の戯曲『リシュリュー』です。主人公のリシュリューが放ったこのセリフは、歴史に残る名言となり、現代まで語り継がれる事になりました。
戯曲『リシュリュー』は実在の人物をモデルにした歴史劇なのですが、では、主人公・リシュリューの職業はなんでしょうか?
なんと…大変な権力を持った、17世紀のフランス宰相(国王付きの政治家)だったのです! 現代日本に置き換えると、総理大臣のような役職。そんな、いわゆる「偉い人」がこのセリフを言ったのは、どんなシチュエーションだったのでしょうか?
実在したフランス宰相・リシュリューの肖像画(ロンドン ナショナル・ギャラリー蔵)出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
実際のリシュリューは、中央集権体制と王権の強化に尽力した人物でした。強大な権力を誇るリシュリューは、ある時、部下である軍の司令官たちが、自分の暗殺計画をもくろんでいることを突き止めます。
しかしながら、リシュリューは宰相であると同時に枢機卿(カトリックの聖職者)でもあり、表立って武力で対抗することはできない立場。さて、どうすればいいか?
…というところで、名言「ペンは剣よりも強し」が出てくるのです。この名言は、あるセリフの一部分が切り取られたもの。文章の全体に注目してください。
リシュリュー「まことに偉大な統治(私がやっているような)のもとでは、ペンは剣よりも強し」
リシュリューは、暗殺を企てている軍の人間よりも、上の地位にあるので、軍隊を動かさないよう命令する令状に、上位の自分がペンでサインさえすれば、暗殺者たちは実質上、自分に歯向かうことができなくなる…と言ったわけです。
つまり「ペンは剣よりも強し」は、「下位にいる人間がどんなに腕っぷしが強かろうと、上位の人間の命令パワーにはかなわない!」という意味の言葉の、一端が切り取られたものだったのです。原典において、この名言はさながら『ドラえもん』のジャイアンの如く、強き者が自分の力を誇示する発言だったのです。
https://precious.jp/articles/-/11298 より引用
これだけを見ても、言葉の一端が切り取られ真逆の意味になるということも怖いことだと思いませんか?
私が書いた言葉により、人が傷つくことを恐れる。文章を書くことによって「ぶっ殺してやる」なんて電話がかかってくることあってはならないはずです。
表現の自由、それには責任が伴うことを忘れてはならないことを思い知らされます。
文章を書くことにより、自分の家族が危険にさらされること。文章を書くことで書いた相手を危険にさらせてしまうこと。
「ペンは剣よりも強し」、重い言葉だと改めて思わされます。