10月16日 「神様が味方をしてくれる人になる習慣」
作家の小林正観さんの言葉
人は1人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。
人の間で生きるということは、「自分が必要だとされている」ということです。
「人間」の生きる目的は、欲しいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、
・「人の間で喜ばれる存在になること」
・「『ありがとう』と言われる存在になること」
に他なりません。
発する言葉や表情など、その人の振る舞いが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、まわりの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれるでしょう。
「しあわせ」の語源は「為し合わせ」です。お互いにしてあげることが、「幸せ」の本質なのです。
努力をして、頑張って、必死になって、自分の力だけを頼りにいき生きていこうとする人のもとには、人は集まりません。
「孤独という場外」が続いてしまいます。
一方で、「自分の力なんてないんだ」と思っている人は、まわりに支えられて生きていることが分かっているので「謙虚」です。
「謙虚」とは「感謝」すること。「感謝をする人「ありがとう」を言う人」のもとにはたくさんの人が集まって来て、「よき仲間」に囲まれます。
教えあい、学びあい、交歓し合う「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100%」。
頑張りも努力もいりません。ただ、「喜ばれること」を続けていけばいいのです。
「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」をただやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)こと。
「そ・わ・かの法則」(掃除・笑い・感謝)」を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言わないこと。
すると、神様が見方をしてくれて、全ての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる。
これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。
心して日々生きていきたいと思っています。