9月15日 まずいものに出会ってしまった!

私は物事をポジティブに考える人間だと思っていた。周りからもそう言われていて、きっとそうなんだと自分自身思っていた。

好きな言葉に「夢は叶えるためにある!」スラムダンクにも出てくるが、夢を叶えるために、一生懸命努力をする。

勿論息詰まる時も出てくる。でも何をすればいいのか考えて、行動し、困難を乗り越え成長することが大事だと考えている。

資格試験に挑戦することも私の人生の中の一つでもあるが、結果はどうあれチャレンジし合格するように努力をする、結果はどうあれ、そのための勉強が知識を増やし教養を身に付けるためになると考えて頑張ってきた。

それが、、、「自分を大切にする」ことをやめる。「夢」や「希望」が無くても人は生きていける。人脈も友達もいらない。「死」を乗り越えようとしなくていいと。

曹洞宗で出家得度し、長年永平寺で修行生活をされたのちに日本屈指の霊場である青森県下北半島の恐山にあるお寺で院代(住職代理)をされている方の言葉だ。

こんなアドバイスは私の生きてきた中では初めてで、正直愕然とした。

夢を追い求め(なかなか叶うわけじゃないが)、希望に燃え(希望に燃えて入学しても疲れたよなぁ)、自分を大切にしましょう!ってみんな言っているじゃん!それ全部しなくていいから!と?

本を出しておられるのだけれど、要点として

(1)「自分を大切にする」ことをやめ、特定の誰かのために何かをすることが大切。

(2)夢破れても生きていく人は本当に偉い。「生きがい」や「やりがい」を無理に求めず、まずはじぶんが抱えている問題に取り組むべき。

(3)人脈や友だちはいなくてもよい。自分が大切にしたい人間関係を決め、その構築や維持に集中すべきだ。

(4)人は全員死ぬのだから、死を乗り越えようとしなくてもよく、ことさら「意味」や「価値」を求める必要もない。

「特定の誰かのために何かをする」損得や感情を抜きにして誰を大切にしたいのか?何を大切にしたいのか?一度改めて考えてみることは大切かもしれない。その人に対する思い入れが変わってくるかもしれない。

歌の歌詞などにも「夢は叶えるためにある」なんてフレーズがあるけれど、なかなか夢は叶うものではない。一つが叶っても次の夢が出てくる。もちろん夢破れる時もある。それでも夢を持つことはいいことと思っていたが、「夢」の後ろに隠れた自分の本音があるはずだから、それを徹底的に見つめることが大切だと言っている。

「人生に意味などない」からスタートする。「夢」や「希望」は無くても人は生きていける。時に「夢」や「希望」は負担になる。

自分の生き方やあり方を決定づける人間関係は、私の今を作っているものだからとても大切でありがたいものと書いたばかりだか、ものの見事に否定されている。

自分の生き方やあり方を決定づける人間関係はそう多くはない。本来、人が生きていくのに必要な人間関係がごく限られている。

友人を作ると、人はどうしても相手と良好な関係を維持しようと努力したくなる。そして思いどおりにいかないとそれが悩みになりストレスになってしまう。本当に大切にしたい人間関係を決め、その関係を調整していくことに集中するのが望ましいと。

「死」についても人生とは「自分」という舟で皮を渡るようなものだと言っている。「自分」という舟に未練を持つことなく、川を渡り切ってスッと向こう岸に折で人生を終わればよい、と。これは共感。

しかし他のことについては「悩むことなく」と言いながら私の心をざわざわさせている。今までの自分の生きざまを否定されているような気になるからだろうか?

それでも、偉い人なのだろうが、「物の見方、考え方にはいろいろあるんだなぁ~!」ということを学ばせてもらったが、私には到底受け入れられない内容だった。もし、この先私が人生に疲れたら、夢や希望に破れて心が壊れそうなときは、この「『前向きに生きる』ことに疲れたら読む本」(南直哉著)を手に取ってみることにしてみよう。」

かおるママ、5か月マイナス5キロダイエット
週末で家族のいる時は難しいねぇl~!
「あれが食べたい!」「これ作って!」などやっていて、自分も一緒に味見していたら痩せるわけないじゃんねぇ~💦
既に夢破れてる!
平日は頑張れるかな?

「鍋やもう嫌だ!」「鶏肉じゃないのがいい!」なんて言わないでよねぇ~!

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