2月3日 神様が見方をしてくれる人になる習慣
私は横浜のミッション系の中学校を出ていますが、クリスチャンではありません。でも、神様っているだろうなって思っているんです。
私が東京で一緒に働いていた友達と話をしたことがあります。「ねぇ、Yuriちゃん、神様っていると思う?」と私が聞いたときに、「うん、いると思う!でも天国とかどこかにって言うんじゃなくて、神様っていうのは自分の心の中にいると思うんだよね。だからいつも私の行動や考え方を見ていて、いい行いをしなさいよ、いい考えを持ちなさいよ、と見ていてくれると信じているんだ」と答えてくれました。
そんな考え方を聞いたのは初めてで、結構衝撃を受けました。イエスキリストや聖母マリア、日本人的には八百万の神様?なんて感じの答えが返ってくると思っていたから。
彼女からは沢山のことを学ばせてもらいました。今は海外に住んでいますが日本に帰国するときには連絡をくれて時間調整をして会うようにしています。彼女と会うとすがすがしい気持ちになるんですよ。
小林 正観(こばやし せいかん)さんの言葉にこんなのがありました。
「神様が見方をしくれる人になる習慣」というものです。
人は1人で生きていると「ヒト」ですが、喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。
人の間で生きるということは「自分が必要とされている」と言うことです。
「人間」の生きる目的は、欲しいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、
・「人の間で喜ばれる存在になること」
・「『ありがとう』と言われる存在になること」
にほかなりません。
発する言葉や表情など、その人のふるまいが「まわりを喜ばせるもの」になっていれば、投げかけた結果として、周りの人があなたにとっての「よき仲間」になってくれるでしょう。
武田鉄矢さんの「人という字は人と人とが支え合っている」にもつながるものですね。