12月15日 母の法事
昨年の1月1日亡くなった母の法事を昨日やりました。
私の周りで随分と知っている人が亡くなってきています。
友人も、テレビで見ていた日野正平さんや小倉智昭さん、中山美穂さん、そして母も。
たまたまNHKを見ていたら、栗原はるみさんがご主人が亡くなられて5年。未だに立ち直れていなくて…と。
もうあのいきいきとしていた姿が消えていて拝見して寂しかった。
なんか今まで感じたことのなかった怖さが私を襲ってきました。
自分が死ぬことの恐怖では無いんです。残された者の怖さを感じたんです。
そして久しぶりに施設に入っている父にも会ってきました。父は痴呆症を発症していて、母が亡くなったことを知りません。ていうか話していません。
痴呆症って、急にいろいろなことを忘れていくわけではありません。だんだんといろいろなことが分からなくなっていくんです。
ですので、時々わかることもあったりして。
そんな状態の時に自分の連れ合いが亡くなったということが理解出来たらパニックになりかねません。なので母は入院したことになっています。ずっと入院したままに。
母はお正月の朝、父と一緒に食事をとった後に「またお昼にね!」と言って別れ、1時間ぐらいしてお腹が痛いと言い出し、看護師さんがお医者さんと弟に連絡を取ってくれたものの間に合わず、30分ぐらいで息を引き取ったそうです。
連絡を貰った私も、新幹線に飛び乗ったものの石川の地震で新幹線が止まり母のものに行くことが出来ませんでした。きっと来るな!と母のことだから言っているんだろうなって思うことにしました。
ほとんど苦しまずに天国に旅立った母。なんか母らしいな!って思ったり。私も母みたいな亡くなり方をしたいな!って思わせてくれました。
残された父が痴呆症で良かったと思わされたのは初めてです。自分も痴呆症になるんじゃないかしら?といつも不安を覚えていますから。でも、母の亡くなったことを知らない父はある意味幸せかな?と今回は考えた次第です。
仲の良い両親でした。
それだけに残されたこと知らせることが出来なくて。
人はいつか死ぬものだとはわかっていても。