11月23日 おじさんは
「津軽海峡冬景色」で「上野発の夜行列車降りたときから、、、」と歌っているように、列車の始発駅は「上野」だった。
若い人は当然知らないだろうが、駅の通路には戦争で手足を失った人たちが働けないので物乞いをしていた。
指が使える人はアコーディオンを弾いたりしていて、アコーディオンの音色は悲しみの音色として私の子ども心に刻まれた。
正気なことを言えば怖かった。必死で母親の手にしがみついていた記憶がある。
時は流れ、上野駅にいたいわゆる「浮浪者」と呼ばれた人たちは一掃された。(どこに行ったんだろう?)
駅も周辺も新しくなり、新幹線ができ、始発駅は東京駅になった。便利になり綺麗になった。
働いている頃、東京駅から大手町の駅まで歩いているとまた浮浪者に出会った。子供の頃に出会ったタイプとは違う人たちに。
地下通路は雨や雪の心配もなく暖かだった。そのおじさんは段ボールで上手に家を作り様々な生活道具がその家?の周りに置かれていた。そしていつも横になりながら朝は新聞を読んでいた。
何種類もの新聞が頭のところに置かれていて、私よりよっぽど情報通だったと思う。読むだけの使い方以外にもよほど利用方法は知っていたことだろう。
たまに数人のきちんとした身なりの人たちがおじさんに話しかけていた。
そして翌日にはおじさんはいなくなっていた。気になった。おじさんに何があったんだろうと。
でも、2週間もすると腰ぐらいまであった髪の毛は短髪となり、長く伸びていた髭はさっぱりと剃られ、今度は浮浪者と呼ぶには不似合いな格好でおじさんは戻ってきて新生活を始める。
その姿、いやその存在を確認して、何故か良かったと安堵する自分がいた。
東京駅もいわゆる駅ナカと言われるお店が次々と出来て、ただの「通路」と呼ばれる場所は無くなっていた。
あのおじさんたちはどこに行ったのかな?誰か見守ってくれる人はいるのかな?
不適切な表現がありましたらごめんなさい